壁は壁でしかない

今年本郷キャンパスに竣工した福武ホール。
安藤忠雄設計の近未来チックなデザインで、ちょろちょろとメディアにも取り上げられているようです。
私は情報学環に所属しているので、これを使う機会も多いのです…が、
いまいち気に入りません。


なんといっても、壁がいかん。
福武ホールと大学の道路との間には、「考える壁」と称する
コンクリートの壁が立っています。
安藤氏によると
「これは結界としてではなく、壁背後に広がる地下空間と、
既存の大学空間をつなぐ〈間〉の創出を意図したもの※」だそうですが、
いや、アナタ、
これはただの壁でしょう!!!邪魔ったらありゃしない。
「考える壁」はコンクリートという素材の無機質な雰囲気も手伝って、
完全に「既存の大学空間」との断絶の装置として働いています。
しかもニクイことに、この壁には安藤忠雄特有のスリットが入っています。
そのスリットを通じて、福武ホール内が道路から見えるようになっています。
これも、なんか、キモチワルイ。
壁の向こうに広がるスバラシイ世界を意図的に垣間見せている感じがする。
学環に通わない友達の言葉
「なんかさー『こっちはこーんなに楽しいんですよ』っていうのを
 見せつけられて、でも壁があって入れなくて、すっごい疎外感を感じる」
というのが印象的だった。
いくら言葉で「〈間〉の創出」とかいっても、
それはあくまで建築家の自意識上の話。
キャンパスに足を踏み入れる者たちがそれを断絶の装置として認識するなら
それは間でも何でもなく、ただの邪魔な壁なんだと思う。


最近思うのは、安藤忠雄建築には使う者の視点が欠けているのでは?ってこと。
副都心線の渋谷駅もそうだけど、宇宙船にすることで通勤者にとってどんな利益があるのかよく分からん。
福武ホールも、渋谷駅も、「これが俺的哲学ではサイコーだからこうするのだ!!!」っていう安藤忠雄の自意識が満ち満ちている感じがする。
そこには通勤者や学生の視点はない。
「使用者本位」ではなく、「建築家本位」になっている。
「建築家本位」で立てられた建造物っていうのは
たしかにアートかもしれないけど、建築としては失敗では??


東京大学情報学環福武ホール着工特別企画パンフレットによる