作家論の難しさ

世田美に行ってからというもの中島敦の作品を再読しているので、ここ数日は頭の中が彼のことでいっぱいです。南洋行きの背景や土方氏との交流のことを詳しく知ってから読むと全然違う!!今まで大したことないと思っていた「鶏」「マリヤン」「夾竹桃の女」などの南洋系の作品がガゼン面白くなって来ました。

同時に、今までの私の「中島敦観」はずいぶん歪曲したものだったのではないかとも大いに疑うところです。中島敦はとにかく「山月記」とか、「弟子」とか、ああいう漢文の硬派な話と一緒に語られることが多かったから、私は漢学の要素こそ中島敦中島敦たる所以だと思っていました。けど、そうじゃないかもしれない。漢文の素養はお利口さんだった子供のとき身につけたものであって、そんな子供がビン底メガネの文学青年になるまでに見て来たものはむしろヨーロッパ文学だったり、麻雀だったり、そして南洋だったんだと思う。それに、彼が実際にほとんどの執筆活動をしたのが昭和17年=戦争まっただ中だったことを考えると、ヨーロッパ系の作品は書こうとしても書けなくて結局書けるのは当たり障りの無い古代中国の話とかだったんじゃないかってことは容易に想像がつきます。そう考えると、中島敦漢籍との関係からいっくら語ってもそれは彼の原点を語ったことにはなるかもしれないけど彼を語ったことにはならないということです。(そして、夏学期のS希史先生のレポートでは私はこの過ちを犯しました)作家論の難しさをこの歳になってようやく実感します。そんあ「中島敦論」を考える上で、今回の世田谷美術館のカタログは大いに役に立つと思いました。お値段は2940円とお高めでしたが、いい資料だったと思います。


それから、同展覧会をすごく適切な言葉でレビューされているブログを発見しました。とても共感します。私も遅起きして何をするともなくぬぼーっとラジかるとか見てる時間をまとめて中島敦にあげたいです…(もう、ホントにもっと作品を書いてほしかった!!)。
http://d.hatena.ne.jp/texas_aki/20080114


あ、そういえば明日卒論提出の先輩方、お疲れさまでございます。来年の自分を見ているようでドキドキです。